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ポール・オースターの『闇の中の男』を読む。

不眠症に苦しむ1人の老人がいる。妻を喪った彼・ブリルは、眠れぬ孤独な夜をやり過ごすため、みずからに物語を語りかける。この物語が、作品の推進軸の一つになる。
舞台は9・11を経験していないアメリカ。そこではニューヨーク州が合衆国から離脱し、独立国家を名乗っていて、ジョージ・ブッシュ率いる連邦国と戦っている。
この内戦を終わらせるために選ばれた兵士が、ひとりの若者ブリック。この人物もブリルの想像の産物なのだが、彼が生きているのは、9・11を経験したアメリカ。つまり、この小説は、フィクションが幾層もの入れ子構造になっている。
ブリックの任務は、ブリルのいる「現実」の世界へ侵入して彼を暗殺すること。想像の世界で戦われている内戦を終わらせるためには、想像の根源を断てばいい、ということだ。
一種の寓話なのか、と思いながら読み進んでいくと、後段に至ってそうではなく、周到なリアリズムの作品であることが分かる。ブリルの孫娘カーチャは、心に大きな傷を負っている。原因は、交際していた若者がイラクへ旅立ち、内戦に巻き込まれて惨殺されたこと。それを自分の責任と感じているのだ。ブリルは、何とか孫娘を立ち直らせてやりたいと願っている。
ブリルがみずからに語りかける物語は、9・11を含むアメリカの「歴史」に対する抵抗の物語になっているようにも読める。独立して戦っているニューヨーク州は、本来あるべきアメリカの姿を実現しようとしているのかも知れない。ブリルは、アラビアンナイトのシェハラザードのように、物語で現実に対抗しようとしているのだ。
しかしそれはある意味、荒唐無稽で、困難な選択でもある。だから、ブリルは自身に暗殺者を差し向けた。読み終えた時、読者は、眠れぬ夜、孫娘の心に大きな傷を与えたアメリカに静かな怒りを燃やし、できることなら、たとえ想像の世界であってもその歴史を改編したいと、偏執的な想像力を駆使している孤独な老人の姿が見えてくるだろう。
アメリカの抱えた傷は、あまりに大きい。それは、まだまだ癒えていない。

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